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ロシア心理学会1885年、ロシアで初の心理学会が、モスクワ帝国大学の下に発足した。定款によれば、設立の目的は«心理学とこれに不随する諸要素と歴史の研究、およびロシアにおける心理学の普及»とされている。 以上の目的のために、心理学会は以下の項目を検討対象とした:
学会の初代理事に選出されたのは、M.M.トロイツキー(1887年まで同職)。トロイツキーに代わって心理学会理事職に就いたのはN.Y.グロット(1887-1899)。グロットは、当時のロシア・インテリゲンチャの社会的・思想的志向性を体現したような人物であった。 ロシア心理学会の会合で繰り広げられた、広範にわたる学術研究と理論的討論は、ロシアにおける心理学分野の開拓に貢献する筈だった。1910年代、RPO(ロシア心理学会)にとっての最重要課題は、心理学の対象と実践の問題であった。 ソ連時代、RPOと同様の位置にあったのはソビエト心理学者連盟であった。その歴史は、学会がソ連心理学アカデミー付属心理学大学内で再生された1957年にスタートした。名称は、ソ連心理学者協会という。1950~1960年代にかけて、心理学大学がかつてのロシア心理学会の伝統と気風を大事に継承していたオアシスであったことは、多くの心理学史研究家が認めるところである。 A.N.レオンチエフは、ロシアの心理学史の一時代を代表する人物と言っても過言ではない。ロシア科学界の伝統に忠実な学者であり、MGU(国立モスクワ大学)の心理学科創設と、国内の専門家の統合を成し遂げた熱意と才覚の持ち主であった。1963~1968年にかけては、第2代目のソ連心理学者協会の理事を務めた。丁度この時期、ロシアの心理学は世界の心理学界で然るべき地位を確保することになる。この頃、1966年に第6回国際心理学会議(The 8th International Congress of Psychology)がモスクワで開催され、国外の心理学界の権威であるジャン・ピアジェ、ポール・フレスらが初めて来訪した。 ソ連心理学者協会の3代目の理事は、B.F.ロモフ。ソ連科学アカデミー付属心理学大学の開設は、心理学がその地位を固める上で重要な出来事であった。また、心理学教育のみならず、宇宙飛行学など、国家にとって重要な分野への応用といった側面もあった。 こうした中、心理学者協会はモスクワで重要な会議を幾つか開催している:
ソ連崩壊後、心理学者協会は新たな時代に突入する。 1994年11月22日、ロシア連邦心理学会(RPO)創立大会。 2002年1月30日~2月1日 第5回RPO全ロシア会議。 2003年6月25~28日 RPO第3回大会。 2007年9月18~21日 RPO第4回大会 大会枠内で、第1回RPO若者スクール開催。 現在、RPOの会員は約5000人、62の地方支部と16の学術セクションを有する。 |